今夜もハードワーキング。仕事帰りの車内、ぼぉ〜っとラジオに耳を傾けていた。
「曲自体がメッセージなのではなく、受け止め方がメッセージなのだ」というラジオから流れる言葉に妙に反応。それがJohn Mayerが話した言葉である事。その言葉を紹介した声の主が大貫妙子氏であった事。はっきり判るのはそれ位で、その言葉がどんな文脈で、どんな前後関係で話されたのかは全く判らない。
それ以降ラジオを消して、その言葉についていろいろ思索しながら帰宅。受け止め方がメッセージ...なるほど。巷に溢れ返る様々なメッセージ。考えてみれば、どこもかしこもメッセージだらけだ。CM(commercial message)やニュース、書籍、映画、音楽etc...。それらが無秩序に放たれた空間から、自分のアンテナでキャッチできたものがメッセージとして機能する。そのアンテナも能動的であったり受動的であったり、単なる偶然であったり見えない力を感じてみたり...と様々。
考えてみれば、そんな人間が発する事以外でも、朝の小鳥のさえずり、空の色、枯葉の臭い、風の音etc...これもみんなメッセージと捉える事もできる。ああ、どこかでそんな歌あったなw。耳を塞いでる人に音を伝える事は不可能なんだろうか。
で、何を言いたいかっていうとですね。音楽の作り手側として、メッセージなる物を大上段に振りかざして、ほら!っていう感じにずっと疑問があったものでね。人間同士がお互いに100%理解し合う事なんか不可能だとするならば、その相容れない部分の隙間の埋め方というのをもっと真摯に考えにゃいかんな...と。何て言ったらいいのかな。暴力的で力づくな感じじゃなく、もっと配慮というか心遣いというか...魂込めて、優しく相手に委ねるって言うか...。あ〜、またしても意味不明。言いたい事からどんどんニュアンスがかけ離れて行くようで...。でもね、文章では上手く説明できないけど、確実に自分の中では見えてくる物があってね。ま、単にそんな事を考えてました...というお話でお茶を濁して下され。お粗末。(*^-^)